取り次ぎ、待ち合わせ、お見合い。昭和の「不便」が、実は恋愛の練習になっていました。

取り次ぎ、待ち合わせ、お見合い。昭和の「不便」が、実は恋愛の練習になっていました。 出会い方・サービス選び

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先日、AI恋人アプリについて書きました。断られない関係は心地よい反面、対人関係の伝え方を鍛える機会を奪う、という話です。書きながら思い出したのが、昭和の時代にあった、今はもうなくなった不便さのことです。今日は、その不便さが実は恋愛の練習になっていた、という話を書きます。私は営業一筋20年、クロージングの現場を見てきました。

取り次ぎという、家族を通過する電話

昭和の家庭には、たいてい一台の固定電話しかありませんでした。好きな人からの電話がかかってくると、まず家族の誰かが出て、「〇〇さんいますか」と取り次ぎます。この一手間自体が、緊張の時間でした。

今は、スマホが本人に直接つながります。便利ですが、取り次ぎという行為ごと消えました。営業で言えば、受付を通さずにいきなり決裁者と直接話せるようなものです。楽ではありますが、受付の人に感じよく対応してもらう、事情を説明して取り次いでもらう、という一連のやり取りには、実は小さなコミュニケーション訓練が詰まっていました。

待ち合わせという、不確実性への耐性訓練

携帯電話がない時代、待ち合わせは「相手が来るまでひたすら待つ」ことが前提でした。遅刻の連絡もできず、来ない理由も分からないまま、ただ待つしかありません。

これは、今のAI恋人にはない体験です。AI恋人は、こちらが話しかければ即座に、予測できる形で応じてくれます。待たされる、来ない、理由が分からない、という「思い通りにいかなさ」に触れる機会が、そもそもありません。営業でも、返事がすぐ来ない商談ほど、こちらの忍耐力と想像力が鍛えられます。待つという行為は、退屈な時間ではなく、相手の事情を想像する訓練だったのだと思います。

「留守電を聞く」という、地味な訓練

取り次ぎと似た話ですが、留守番電話にも似た機能がありました。相手が不在のときに残すメッセージは、言いたいことを一度頭の中で整理してから話す必要がありました。何を伝えるべきか、どこまで話していいのか、限られた録音時間の中で考えながら喋る。これも、地味ながら伝え方を鍛える訓練だったと思います。

今のLINEやチャットは、思いついた瞬間に断片的に送れます。考えをまとめる前に発信できてしまう分、伝える前に一度整理するという工程が省略されやすくなっています。営業の商談でも、話す前に要点を整理できる人と、話しながら考える人とでは、相手に伝わる密度がまったく違います。

お見合い・仲人という、地域社会の仲介機能

お見合いや仲人という文化も、今ではずいぶん少なくなりました。親戚や近所の世話好きな人が間に入り、双方の家庭の事情や人柄を踏まえて、縁談を進めていく仕組みです。

今のマッチングアプリは、本人同士が直接つながる仕組みです。効率はいいですが、間に入って背中を押してくれる第三者がいません。うまくいかないとき、相談する相手も自分で探す必要があります。地域社会が担っていた「仲介」という機能が、丸ごと個人の負担に移ってきているのだと思います。

銭湯・近所付き合いという、物理的な強制交流

家に風呂がない家庭も多かった時代、銭湯は世代を超えて人が集まる場所でした。近所付き合いも、回覧板を回す、醤油を借りる、立ち話をするといった、物理的な近さからくる交流が日常にありました。

今はオートロックのマンション、宅配ボックス、インターホンの録画対応と、隣人と一言も交わさずに生活が完結する仕組みが整っています。便利ですが、見知らぬ人と何気ない会話を交わす筋肉を使う機会が、生活の中からなくなっています。

「何がしたいか分からない」も、実は同じ根っこです

「辞めたい理由はすぐ出るのに、したいことが出てこない」という悩みを、最近よく耳にします。これも、根っこは今回のテーマと同じだと思っています。昭和の時代は、お茶の間の共通体験、近所付き合い、会社の飲みニケーションと、否応なく他人と関わる機会が日常にありました。その中で、自分が何に反応するか、何に興味を持つかを、自然に確認する機会も多かったはずです。

今は、一人で完結できる娯楽が増えた分、自分の内側だけで完結する時間が長くなっています。他人との接点が減ると、自分が本当は何をしたいのかを確かめる機会も、同時に減っていきます。「したいことが分からない」という悩みが増えている背景には、便利さによって他人と関わる機会そのものが減っている、という事情もあるのではないかと思っています。

お茶の間という、共通体験の生成装置

一家に一台のテレビで、家族全員が同じ番組を見る。翌日、学校や職場でその話題を共有する。これが、昭和の日常にあった共通体験でした。

今は、各自がスマホで自分に最適化されたコンテンツを見ています。同じ番組を見ている前提が薄れた分、「あれ見た?」から始まる会話のきっかけそのものが減っています。恋愛の入り口も、共通の話題から始まることが多いので、これは地味に効いている変化だと思います。

公衆電話の行列という、待ち時間の副産物

公衆電話に行列ができていた時代は、順番を待つ数分の間に、前後の見知らぬ人と何となく言葉を交わすことがありました。「混んでますね」というだけの、意味のない一言です。でも、この意味のない一言のやり取りが、見知らぬ人に話しかけるハードルを、日常的に下げていたのだと思います。

今は行列そのものが減り、あってもスマホを見ていれば手持ち無沙汰になりません。見知らぬ人に話しかける機会が、生活の中から静かに減っています。

手紙という、間を置く文化

手紙やラブレターは、時間をかけて書き、相手の返事を数日待つものでした。書く側は、伝えたいことを何度も練り直す時間があり、受け取る側は、返事を考える時間がありました。

LINEの即レス文化には、この「間」がありません。すぐに返さないと不安にさせるという圧力があり、じっくり考えて言葉を選ぶという行為が起きにくくなっています。営業の商談でも、即答を求められる場面より、一晩考えて出した答えの方が、精度が高いことはよくあります。恋愛の言葉も、本来は同じはずです。

便利になった分、失われた「鍛えられる場」

ここまで挙げた6つに共通しているのは、どれも「不便だったからこそ、他人と関わらざるを得なかった」という構造です。取り次ぎ、待ち合わせ、仲人、近所付き合い、お茶の間、手紙。どれも、面倒で、時間がかかり、思い通りにいかないものでした。

便利になるということは、この面倒さを取り除くということです。取り除かれた面倒さの中に、実は他人と関わる筋力を鍛える機会が詰まっていました。営業の世界でも、マニュアルやAIが整備されて楽になった分、現場で自分の頭で考えて対応する機会が減っている、という声を聞くことがあります。恋愛も、同じ流れの中にあると思います。

便利さそのものは、悪者ではありません

ここまで昭和の不便さを持ち上げるような書き方をしてきましたが、当時に戻りたいとは思っていません。取り次ぎの手間も、待ち合わせの不確実性も、当時の人にとってはただの不便でしかなく、それが「訓練になっていた」というのは、あくまで後から振り返ったときの見え方です。当時それを望んでやっていた人はいません。

営業の世界でも、非効率だった昔のやり方を美化する人がいますが、効率化そのものは間違っていません。問題は、効率化によって失われた機能があることに気づかないまま、放置してしまうことだと思っています。何が便利になり、その裏で何が失われたのかを把握した上で、必要な部分だけ意識的に補う。これが現実的な向き合い方だと思います。

今、鍛える場をどう取り戻すか

とはいえ、昭和に戻ることはできませんし、戻る必要もないと思っています。大事なのは、便利さと引き換えに失われた機能を、意識的に別の形で取り戻すことです。

特に、地域社会が担っていた「仲介」の機能は、今の個人の力だけで補うのは簡単ではありません。以前紹介したnaco-doのような、専属サポーターが価値観の整理から一緒に考えてくれるサービスは、この失われた仲介機能を、テクノロジーの中に部分的に取り戻す試みだと捉えることもできます。昭和の仲人が担っていた「間に入って背中を押す」役割を、専属のサポーターが果たしてくれる、という見方です。

もちろん、待ち合わせで待つ耐性や、取り次ぎのやり取りそのものを取り戻すことはできません。それでも、「一人で抱え込まず、間に入ってくれる第三者を頼る」という発想自体は、昭和から今に持ってこられる知恵だと思っています。

具体的に、どう変わるか

連絡がすぐ来ないと不安になる

Before
既読がついてから返信が来るまでの数時間、何度もスマホを確認してしまう。返信が来ないことを、拒絶されているサインだと感じてしまう。

After
返信が来るまでの時間を、相手にも事情があると捉える練習の時間にする。すぐに反応が来ないことは、普通のことだと考え直す。

一人で婚活のすべてを判断しようとして疲れている

Before
相手選びも、進め方も、すべて自分一人で判断しようとして、迷うたびに疲弊している。

After
一人で抱え込まず、専属サポーターのような第三者に相談するという選択肢を検討する。昭和の仲人と同じ役割を、今の仕組みで補う。

営業の世界でも、同じ揺り戻しが起きています

営業の現場でも、似た揺り戻しが起きていると感じています。テレアポや飛び込み営業は、非効率だとされ、インサイドセールスやオンライン商談に置き換わってきました。移動時間が減り、より多くの相手と効率よく接点を持てるようになったのは、間違いなく進歩です。

ただ、対面で相手の表情や間合いを読みながら関係を作る経験を積む機会は、以前より減っています。効率化された分、経験の質が変わった、という言い方が正確だと思います。恋愛も同じで、マッチングアプリやAI恋人は効率的ですが、対面でのやり取りでしか鍛えられない部分が確実にあります。効率化を否定するのではなく、効率化で失われた部分を自覚しておくことが大事だと思っています。

よくある疑問

Q. 昭和の方が恋愛はうまくいっていた、ということですか。
そうとは言い切れません。当時にも当時なりの難しさがあったはずです。ここで言いたいのは、当時の不便さの中に、結果として対人関係を鍛える機会が含まれていた、ということです。

Q. 不便さをあえて再現する必要がありますか。
再現する必要はないと思います。ただ、便利さによって何が失われたのかを知っておくと、意識的に補う工夫がしやすくなります。

Q. 昭和世代の方が、今の若い世代よりコミュニケーション能力が高いのですか。
世代全体を比べる話ではないと思っています。同じ世代の中でも、意識して人と関わる機会を作ってきた人と、そうでない人の差の方が大きいはずです。

まとめ

  • 取り次ぎ、待ち合わせ、お見合い、近所付き合い、お茶の間、手紙。昭和の不便さには、他人と関わらざるを得ない仕組みが詰まっていました
  • 便利になるということは、この面倒さを取り除くということでもあります
  • 特に地域社会が担っていた「仲介」の機能は、今は個人の負担に移ってきています
  • 専属サポーターが伴走するサービスは、失われた仲介機能を部分的に取り戻す試みと捉えることができます
  • 昭和に戻る必要はありませんが、失われた機能を意識的に別の形で補う発想は持っておく価値があります

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